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DATE : 2025/09/03 (Wed)
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DATE : 2010/01/17 (Sun)
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小さなお土産屋の通りを抜けると、
滝の音が聞こえてくる。

エレベーターも整備されてて、
誰でも気軽に滝を眺められる。

トンネルを抜けると、
ひんやりとした空気に包まれた空間に出ると、
目の前にその滝はそびえ立つ。

さすが名瀑。
思わず息を飲む迫力だ。



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ひなびた雰囲気のお土産物屋と、
これまたひっそりとした旅館が数件。


シーズンオフとは言え、
人影もまばらだった。


きっと観光も、
新しいカタチが必要なんだろう。

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DATE : 2009/02/10 (Tue)
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寒暖の差が厳しい岩手の内陸部。
冬の間は毎晩、
氷点下10℃近くまで気温が下がる。
降水量も少なく、
水は貴重なもの。

そのため、
あちこちに「溜め池」がある。
冬の間は氷が張り、
幻想的な風景を描いている。

そんな土地で作られているリンゴ。
江刺リンゴは有名だが、
糖度は紫波のリンゴも負けていない。


ここの美味さはそれだけじゃない。
景観ごとリンゴを食すことに、
その味わいがある。

きーんとした寒さの中に、
ちょっとした贅沢もあるんだ。

DATE : 2007/12/16 (Sun)
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12月の半ば、
もう一度この地を訪れた。

映画と同じく、
やがて深々と降り積もる雪のために、
おウメばあさんの家はすっかりと冬囲いで守られていた。

ここの集落は来客が多い。
私と同じ映画を観たファン達が一年中訪れる。

そんな県外ナンバーの車が集落の中を行き来しても、
この地に住む人たちは、
温かく会釈をしてくれる。



「人に見られる」ということを意識してか、
とても小奇麗にしている。
妙な観光地化されることなく、
ひっそりと佇むこの集落の姿は、
まちづくりを学ぶ時にとても参考になる。

もともとその地に住む人たちと、
よその地に住む映画ファンが共に力を合わせて、
この小さな古里を守っているのだ。

DATE : 2007/03/11 (Sun)
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新潟を語るのに、
「潟」もそうだが、
二つの大河も忘れてはならない。

どちらかといえば日本一の長さを誇る信濃川の陰に隠れがちだが、
この阿賀野川の流れはとにかく圧巻だ。

雪深い会津から流れてくるこの川、
現在はダムが多く、
発電などに活用されているが、
山から運ばれてきた栄養のある土砂は、
絶えず新しい命を育んでいることに変わりは無い。

実はこの川、
河口付近の流れは享保年間になってできたもの。

かつて暴れ川だったゆえ、
非常用の水路を掘削したところ、
大水で本流が変わってしまい、
新潟市松浜地区を分断してしまったのだ。

そんな歴史を紐解いてみると、
もっともっと、新潟の魅力を見つけることができる。

それでは、旧阿賀野川はどこに?

・・・その答えは、どうかご自身の足で探してください。
きっとすぐに見つかります。

DATE : 2007/03/11 (Sun)
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新潟市の東、住宅街に囲まれたところに小さな池がある。
その名も「じゅんさい池」。
散歩コースも整備され、市民の憩いの場となっている。
人間だけではない。
生き物たちにとっても「ホッとできる」オアシスである。

数年前、地元のことをよく知ろうと、
公民館が中心となって「地域学」をはじめた。
その活動は多岐にわたるが、
中でもじゅんさい池にスポットを当てた取り組みは、
「じゅんさい池サミット」の開催までこぎつけたのだ。

残念ながら、周辺の宅地化や道路の舗装で、
湧水は涸れてしまったが、
再び取り戻そうと、
小さいながら、人々の取り組みが始まっている。

パンフレットに載る観光地もいいけど、
こうやって地元の宝を磨き、
名所を作っていく取り組みはとても素敵だ。

DATE : 2007/03/09 (Fri)
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赤谷の鉱山から産出された鉄は、
ガタゴトと揺られながら単線の線路を下り、
日本海側の都市まで運ばれていた。

旧国鉄赤谷線沿いにある、
雪深いこの小さな集落。

ここ中々山は、
ムラを歩くと、
至るところで水の音が聞こえる。

山から湧き出たばかりの水を利用し、
人々は雪を融かしたり、
野菜を洗い、
身体を潤す。

その水は農作物にも、
豊かな恵みを注いでいる。

集落の入り口に、
地蔵堂がポツンと建っている。

集落の人たちに大切に守られ、
冬の祀りのときは、
よそから来た者にも、
蕎麦もふるまわれる。

そんな人々の温かさは、
冷たい夜の雪をも融かす。

DATE : 2007/03/06 (Tue)
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先にも触れたが、
ここ佐比内はかつて金山があった。

金山の工夫の中には、
キリスト教信者(隠れキリシタン)もいたそうだ。
写真はその隠れキリシタンたちのお墓なのだが、
民家のすぐ軒先にある。

この山の斜面には、
他にも多く、小さな墓標が並んでいる。


私たちが、「今、ここにある」のは、
やはり先人たちの努力の賜物に他ならない。

多くの人たちの苦労や犠牲の上に、
今の私たちが立っているとも言える。

まちづくりを考える時に、
そのことは決して忘れてはならない。


・・・佐比内に行く前、
同じ町内にある山王海ダムにも立ち寄った。
景色も素晴らしいし、
人造湖とはいえ、
周辺にはまだまだ自然が大切に残されている。

その途中にも、小さな慰霊碑が建っていた。
ダム建設に携わった方で、
不幸にも、事故に遭った方への慰霊碑だった。

普段当たり前のように見える景色でも、
素晴らしい景色でも、
そして生活のための水源確保でも、
やはり、今の私たちのために、
多くの犠牲があったのだ。

そのことを忘れずに、
感謝を込めて街を見ると、
いつもと違った景色が見えてくるはず。

DATE : 2007/03/01 (Thu)
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見渡すばかりの菜の花畑。
遥か彼方から飛来する渡り鳥たち。

ここは、生ける物にとってオアシスなのかもしれない。

そんな地を大切に守ろうとしている人たちも多い。

その中の一つ、あるNPOが福島潟で獲れたお米で、
「みんなで朝食を食べる」活動をしている。

題して「かたごはん」。

食に対する意識が上がっている中で、
とても素敵な試みだと思う。

「食」には全てが集約されているしね。

ネットワーク福島潟
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hishikui/2005/event/katagohan2005/katagohan.html

DATE : 2007/02/26 (Mon)
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りんごにもち米に金山に近代小説・・・。
里山と豊かな清水、そして信仰・・・。

もちろんそこにはこの地で暮らしてきた人々の、
「伝統」や「スピリッツ」が今も脈々と流れている。

ただ、そのありあまる資源を活かすことはけっして容易ではない。

盛岡からのアクセスのよさが災いしてか、
ここ紫波町には「取り残された感」という危機感はない。

一部のコンサルや業者が開発を始めているが、
地元に根付かないというか、
いまひとつ魅力を発信できないというか、
一貫性をもてないのは、
何もここだけの話ではない。

「まず、まちの魅力に気づくきっかけづくり」から。

そして一つずつ、物語(ストーリー)を作っていくことが必要。

自信と誇りは、豊かな自立へとつながっていく。

DATE : 2007/02/26 (Mon)
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福島・会津若松から一時間。
山間の少し開けた空間に大内宿がある。

じーちゃんばーちゃんが切り盛りする、
昔ながらの街並みを利用したちょっとした商店街。

観光地とも確立されてきたが、
それ以上に若者の姿も多い。

蕎麦屋のおばちゃん情報によると、
「栗おじさん」がいるらしい。
訪れる観光客に、サービスも兼ねて栗を配っている。
そのおじさんは、観光客が帰った夕方になると、
町中に落ちている栗の殻を拾っているそうだ。

この街が流行るのは、
ノスタルジックというより、
やっぱりそこに元気とスピリッツがあるからかな。
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