category: まちづくり
DATE : 2010/01/17 (Sun)

小さなお土産屋の通りを抜けると、
滝の音が聞こえてくる。
エレベーターも整備されてて、
誰でも気軽に滝を眺められる。
トンネルを抜けると、
ひんやりとした空気に包まれた空間に出ると、
目の前にその滝はそびえ立つ。
さすが名瀑。
思わず息を飲む迫力だ。

ひなびた雰囲気のお土産物屋と、
これまたひっそりとした旅館が数件。
シーズンオフとは言え、
人影もまばらだった。
きっと観光も、
新しいカタチが必要なんだろう。
DATE : 2010/01/17 (Sun)
小さなお土産屋の通りを抜けると、
滝の音が聞こえてくる。
エレベーターも整備されてて、
誰でも気軽に滝を眺められる。
トンネルを抜けると、
ひんやりとした空気に包まれた空間に出ると、
目の前にその滝はそびえ立つ。
さすが名瀑。
思わず息を飲む迫力だ。
ひなびた雰囲気のお土産物屋と、
これまたひっそりとした旅館が数件。
シーズンオフとは言え、
人影もまばらだった。
きっと観光も、
新しいカタチが必要なんだろう。
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category: まちづくり
DATE : 2007/03/11 (Sun)

新潟を語るのに、
「潟」もそうだが、
二つの大河も忘れてはならない。
どちらかといえば日本一の長さを誇る信濃川の陰に隠れがちだが、
この阿賀野川の流れはとにかく圧巻だ。
雪深い会津から流れてくるこの川、
現在はダムが多く、
発電などに活用されているが、
山から運ばれてきた栄養のある土砂は、
絶えず新しい命を育んでいることに変わりは無い。
実はこの川、
河口付近の流れは享保年間になってできたもの。
かつて暴れ川だったゆえ、
非常用の水路を掘削したところ、
大水で本流が変わってしまい、
新潟市松浜地区を分断してしまったのだ。
そんな歴史を紐解いてみると、
もっともっと、新潟の魅力を見つけることができる。
それでは、旧阿賀野川はどこに?
・・・その答えは、どうかご自身の足で探してください。
きっとすぐに見つかります。
DATE : 2007/03/11 (Sun)
新潟を語るのに、
「潟」もそうだが、
二つの大河も忘れてはならない。
どちらかといえば日本一の長さを誇る信濃川の陰に隠れがちだが、
この阿賀野川の流れはとにかく圧巻だ。
雪深い会津から流れてくるこの川、
現在はダムが多く、
発電などに活用されているが、
山から運ばれてきた栄養のある土砂は、
絶えず新しい命を育んでいることに変わりは無い。
実はこの川、
河口付近の流れは享保年間になってできたもの。
かつて暴れ川だったゆえ、
非常用の水路を掘削したところ、
大水で本流が変わってしまい、
新潟市松浜地区を分断してしまったのだ。
そんな歴史を紐解いてみると、
もっともっと、新潟の魅力を見つけることができる。
それでは、旧阿賀野川はどこに?
・・・その答えは、どうかご自身の足で探してください。
きっとすぐに見つかります。
category: まちづくり
DATE : 2007/03/11 (Sun)

新潟市の東、住宅街に囲まれたところに小さな池がある。
その名も「じゅんさい池」。
散歩コースも整備され、市民の憩いの場となっている。
人間だけではない。
生き物たちにとっても「ホッとできる」オアシスである。
数年前、地元のことをよく知ろうと、
公民館が中心となって「地域学」をはじめた。
その活動は多岐にわたるが、
中でもじゅんさい池にスポットを当てた取り組みは、
「じゅんさい池サミット」の開催までこぎつけたのだ。
残念ながら、周辺の宅地化や道路の舗装で、
湧水は涸れてしまったが、
再び取り戻そうと、
小さいながら、人々の取り組みが始まっている。
パンフレットに載る観光地もいいけど、
こうやって地元の宝を磨き、
名所を作っていく取り組みはとても素敵だ。
DATE : 2007/03/11 (Sun)
新潟市の東、住宅街に囲まれたところに小さな池がある。
その名も「じゅんさい池」。
散歩コースも整備され、市民の憩いの場となっている。
人間だけではない。
生き物たちにとっても「ホッとできる」オアシスである。
数年前、地元のことをよく知ろうと、
公民館が中心となって「地域学」をはじめた。
その活動は多岐にわたるが、
中でもじゅんさい池にスポットを当てた取り組みは、
「じゅんさい池サミット」の開催までこぎつけたのだ。
残念ながら、周辺の宅地化や道路の舗装で、
湧水は涸れてしまったが、
再び取り戻そうと、
小さいながら、人々の取り組みが始まっている。
パンフレットに載る観光地もいいけど、
こうやって地元の宝を磨き、
名所を作っていく取り組みはとても素敵だ。
category: まちづくり
DATE : 2007/03/06 (Tue)

先にも触れたが、
ここ佐比内はかつて金山があった。
金山の工夫の中には、
キリスト教信者(隠れキリシタン)もいたそうだ。
写真はその隠れキリシタンたちのお墓なのだが、
民家のすぐ軒先にある。
この山の斜面には、
他にも多く、小さな墓標が並んでいる。
私たちが、「今、ここにある」のは、
やはり先人たちの努力の賜物に他ならない。
多くの人たちの苦労や犠牲の上に、
今の私たちが立っているとも言える。
まちづくりを考える時に、
そのことは決して忘れてはならない。
・・・佐比内に行く前、
同じ町内にある山王海ダムにも立ち寄った。
景色も素晴らしいし、
人造湖とはいえ、
周辺にはまだまだ自然が大切に残されている。
その途中にも、小さな慰霊碑が建っていた。
ダム建設に携わった方で、
不幸にも、事故に遭った方への慰霊碑だった。
普段当たり前のように見える景色でも、
素晴らしい景色でも、
そして生活のための水源確保でも、
やはり、今の私たちのために、
多くの犠牲があったのだ。
そのことを忘れずに、
感謝を込めて街を見ると、
いつもと違った景色が見えてくるはず。
DATE : 2007/03/06 (Tue)
先にも触れたが、
ここ佐比内はかつて金山があった。
金山の工夫の中には、
キリスト教信者(隠れキリシタン)もいたそうだ。
写真はその隠れキリシタンたちのお墓なのだが、
民家のすぐ軒先にある。
この山の斜面には、
他にも多く、小さな墓標が並んでいる。
私たちが、「今、ここにある」のは、
やはり先人たちの努力の賜物に他ならない。
多くの人たちの苦労や犠牲の上に、
今の私たちが立っているとも言える。
まちづくりを考える時に、
そのことは決して忘れてはならない。
・・・佐比内に行く前、
同じ町内にある山王海ダムにも立ち寄った。
景色も素晴らしいし、
人造湖とはいえ、
周辺にはまだまだ自然が大切に残されている。
その途中にも、小さな慰霊碑が建っていた。
ダム建設に携わった方で、
不幸にも、事故に遭った方への慰霊碑だった。
普段当たり前のように見える景色でも、
素晴らしい景色でも、
そして生活のための水源確保でも、
やはり、今の私たちのために、
多くの犠牲があったのだ。
そのことを忘れずに、
感謝を込めて街を見ると、
いつもと違った景色が見えてくるはず。
category: まちづくり
DATE : 2007/03/01 (Thu)

見渡すばかりの菜の花畑。
遥か彼方から飛来する渡り鳥たち。
ここは、生ける物にとってオアシスなのかもしれない。
そんな地を大切に守ろうとしている人たちも多い。
その中の一つ、あるNPOが福島潟で獲れたお米で、
「みんなで朝食を食べる」活動をしている。
題して「かたごはん」。
食に対する意識が上がっている中で、
とても素敵な試みだと思う。
「食」には全てが集約されているしね。
ネットワーク福島潟
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hishikui/2005/event/katagohan2005/katagohan.html
DATE : 2007/03/01 (Thu)
見渡すばかりの菜の花畑。
遥か彼方から飛来する渡り鳥たち。
ここは、生ける物にとってオアシスなのかもしれない。
そんな地を大切に守ろうとしている人たちも多い。
その中の一つ、あるNPOが福島潟で獲れたお米で、
「みんなで朝食を食べる」活動をしている。
題して「かたごはん」。
食に対する意識が上がっている中で、
とても素敵な試みだと思う。
「食」には全てが集約されているしね。
ネットワーク福島潟
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hishikui/2005/event/katagohan2005/katagohan.html
category: まちづくり
DATE : 2007/02/26 (Mon)

りんごにもち米に金山に近代小説・・・。
里山と豊かな清水、そして信仰・・・。
もちろんそこにはこの地で暮らしてきた人々の、
「伝統」や「スピリッツ」が今も脈々と流れている。
ただ、そのありあまる資源を活かすことはけっして容易ではない。
盛岡からのアクセスのよさが災いしてか、
ここ紫波町には「取り残された感」という危機感はない。
一部のコンサルや業者が開発を始めているが、
地元に根付かないというか、
いまひとつ魅力を発信できないというか、
一貫性をもてないのは、
何もここだけの話ではない。
「まず、まちの魅力に気づくきっかけづくり」から。
そして一つずつ、物語(ストーリー)を作っていくことが必要。
自信と誇りは、豊かな自立へとつながっていく。
DATE : 2007/02/26 (Mon)
りんごにもち米に金山に近代小説・・・。
里山と豊かな清水、そして信仰・・・。
もちろんそこにはこの地で暮らしてきた人々の、
「伝統」や「スピリッツ」が今も脈々と流れている。
ただ、そのありあまる資源を活かすことはけっして容易ではない。
盛岡からのアクセスのよさが災いしてか、
ここ紫波町には「取り残された感」という危機感はない。
一部のコンサルや業者が開発を始めているが、
地元に根付かないというか、
いまひとつ魅力を発信できないというか、
一貫性をもてないのは、
何もここだけの話ではない。
「まず、まちの魅力に気づくきっかけづくり」から。
そして一つずつ、物語(ストーリー)を作っていくことが必要。
自信と誇りは、豊かな自立へとつながっていく。
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