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DATE : 2025/09/03 (Wed)
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DATE : 2007/12/17 (Mon)
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岩手大学に程近いこの池は、
学生たちの散歩コースになっている。

付近には学生向けのアパートが立ち並び、
本を片手に歩く学生の姿も時折見かける。

時代は変われども、
数多くの文人たちを優しく見守ってきた。

どんなに優れた先人たちにも、
若かりし思い出の地。


もしあなたの身近に、
言うことを聞かない若者がいようとも、
ちょっとだけ自分の若かりし頃を思い出して欲しい。

「自分もそうやって育てられてきたんだよね」って。
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DATE : 2007/12/16 (Sun)
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北国・岩手と言えども、
とにかく広い。

南部藩の中心であった盛岡から2時間、
ようやく三陸の小さな漁村に着く。

途中の北上山地まで、
すっかりと冬景色なのだが、
ここ三陸の地は、
少しゆっくりと四季が流れる。

冬場にも関わらず、
太平洋に面したこの海は穏やかだった。

どことなく優しいこの海は、
多くの生き物だけでなく、
人々へ豊かな恵みをもたらしている。

DATE : 2007/12/16 (Sun)
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12月の半ば、
もう一度この地を訪れた。

映画と同じく、
やがて深々と降り積もる雪のために、
おウメばあさんの家はすっかりと冬囲いで守られていた。

ここの集落は来客が多い。
私と同じ映画を観たファン達が一年中訪れる。

そんな県外ナンバーの車が集落の中を行き来しても、
この地に住む人たちは、
温かく会釈をしてくれる。



「人に見られる」ということを意識してか、
とても小奇麗にしている。
妙な観光地化されることなく、
ひっそりと佇むこの集落の姿は、
まちづくりを学ぶ時にとても参考になる。

もともとその地に住む人たちと、
よその地に住む映画ファンが共に力を合わせて、
この小さな古里を守っているのだ。

DATE : 2007/08/05 (Sun)



映画「阿弥陀堂だより」の舞台となった飯山。

山の斜面に張り付くような集落。
スピードを落としながら車を走らせる。
すれ違う集落の人々に会釈をしながら、
そうっと通りたい。

やがて小さな神社の脇にある集会場に行き着き、
そこで車を停める。

「素朴」という言葉が似合う小道を登っていくと、
おウメばあさんの家はある。

千曲川を見下ろす阿弥陀堂は、
「四季」折々のダイナミズムを感じることができる。

道端の石仏が、
あたたかく私たちを迎えてくれた。


何時間いてもいい。
そう感じられる場所である。

ぜひ足を運んでみて欲しい。


DATE : 2007/08/05 (Sun)



佐比内地区の山を眺めて歩いていると、
ところどころに石が並んでいるのに気づく。

墓石である。

かつてここは金山があったことで有名だが、
貧しかった東北のこの地において、
金の産出は人々に夢を与え、
各地から大勢の人が集まったのである。

おそらく鉱夫であろう墓標の名前に、
時折珍しい(失礼だが)名前を見つけることができる。

ユダヤやヘブライ語に語呂を合わせた、
キリシタンの墓である。



墓というとどうしても暗いイメージが先行しがちだが、
ここ佐比内にある墓は少し違う。
みな慎ましやかに、
そして今を暮らしている人たちを見守るよう、
そっと佇んでいるのだ。


DATE : 2007/08/05 (Sun)



国道4号線を北上し、
紫波町に入るとしばらくして左手に小さな沼がある。

「昔はもっと大きかった」、
「池に氷が張って、スケートもできた」
と近くに住む人たちは言う。

池のほとりに平泉・中尊寺から移植されたハス畑がある。
このハスはただのハスじゃない。
中尊寺に安置されている藤原氏の棺桶の中から発見されたハスの種子を、
バイオテクノロジーによって発芽させたものの末裔である。

宮沢賢治をはじめ、
東北人の世界観にはただただ脱帽するばかり。

DATE : 2007/03/11 (Sun)
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かつてはここには置屋があった。


そういう街って、どこか懐かしい風が吹いている。

路地を曲がると昔ながらの「アイスクリン」が売っていたり、
土俵だってまだ残っている。

手押し車を押した老婆が、
気軽に会釈してくれる。

軒先には小奇麗に花が飾られ、
暑い日の打ち水も心地よい。

家々の格子窓たちは、
いったいどれだけの人々の往来を見てきたのか。

キレイなネオンやイルミネーションはここにはないが、
薄暗い水銀灯が、
訪れた人々を十分に和ませるのだ。

こんなところを歩けるって、
とても贅沢なことだと思う。

DATE : 2007/03/11 (Sun)
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水の話ばかりだが、
そんな水から大切なお米を守る文化が育ったのも、
この新潟ならではである。

ほんの最近まで、
ここ新潟の田んぼは「葦沼」と呼ばれるくらい、
首まで浸かる泥田であった。

水はけの悪いこの地を救ったのは、
先人たちの苦労と、
農業土木である排水技術、
そして品種改良で生まれたコシヒカリである。

それが米どころ新潟を形成したのだ。

苦労して作られた米だけあって、
モノを「大切にするココロ」がこの地に深く根付いている。

新しいモノが溢れるこの時代、
ここにくると、
そういった文化の片鱗に触れ、
「はっ」と何かを思い出すことが多い。

蔵は、町中のあちこちで見られる。

ぜひ一度、足を延ばして訪れて欲しい。


DATE : 2007/03/11 (Sun)
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新潟を語るのに、
「潟」もそうだが、
二つの大河も忘れてはならない。

どちらかといえば日本一の長さを誇る信濃川の陰に隠れがちだが、
この阿賀野川の流れはとにかく圧巻だ。

雪深い会津から流れてくるこの川、
現在はダムが多く、
発電などに活用されているが、
山から運ばれてきた栄養のある土砂は、
絶えず新しい命を育んでいることに変わりは無い。

実はこの川、
河口付近の流れは享保年間になってできたもの。

かつて暴れ川だったゆえ、
非常用の水路を掘削したところ、
大水で本流が変わってしまい、
新潟市松浜地区を分断してしまったのだ。

そんな歴史を紐解いてみると、
もっともっと、新潟の魅力を見つけることができる。

それでは、旧阿賀野川はどこに?

・・・その答えは、どうかご自身の足で探してください。
きっとすぐに見つかります。

DATE : 2007/03/11 (Sun)
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新潟市の東、住宅街に囲まれたところに小さな池がある。
その名も「じゅんさい池」。
散歩コースも整備され、市民の憩いの場となっている。
人間だけではない。
生き物たちにとっても「ホッとできる」オアシスである。

数年前、地元のことをよく知ろうと、
公民館が中心となって「地域学」をはじめた。
その活動は多岐にわたるが、
中でもじゅんさい池にスポットを当てた取り組みは、
「じゅんさい池サミット」の開催までこぎつけたのだ。

残念ながら、周辺の宅地化や道路の舗装で、
湧水は涸れてしまったが、
再び取り戻そうと、
小さいながら、人々の取り組みが始まっている。

パンフレットに載る観光地もいいけど、
こうやって地元の宝を磨き、
名所を作っていく取り組みはとても素敵だ。
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